ぼくは中学の頃、一個上の先輩の何人かにいじめられた。
明らかに聞こえるようにでかい声で嫌味を言われたり。
突如始まった謎の罰ゲームでお金を巻き上げられたり。
いじめは理不尽だ。
それから学年が上がり、ぼくはいじめられっ子からいじめっ子になった。
クラス全体が1人の男の子を無視し続けていた。
その子が触ったものは全て「○○(男の子の名前)菌だwww」とからかわれた。
めちゃくちゃしょうもない。
今思い返せば、「何であんなことしたんだろう」と後悔が尽きない。
本当に最低なことをしていたと思う。
ただ当時のぼくには、そんな気持ちは一切なかった。
「いじめる側ってこんなに楽しいんだ」
そんな快楽に入り浸っていた。
いじめられる側の気持ちは理解しているはずなのに。
そこで今回はいじめられっ子といじめっ子をどちらも経験したぼくが、いじめ問題を無くすための糸口になればとの想いから考察をする。
永遠に議論されるいじめ問題
こうしたいじめ問題は、ずっと昔から議論されている。
いじめられた子が自殺したというニュースは毎年のように流れている。
問題となった学校は記者会見を行い、そこにいる記者からは
「今までいじめが起きていることに気づかなかったのでしょうか」
「ご遺族に一言お願いします」
と言った的外れな質問が浴びせられる。
ニュース番組では教育評論家を名乗るコメンテーターが我が物顔で持論を展開している。
ただこれだけ話題に上がっているのに、いじめ問題は無くなる気配がない。
それはなぜなのか。
いじめはエンターテインメントである
いじめは控えめに言って楽しい。
「こいつは俺の言いなりだ」と優越感に浸る。
「俺は今悪いことをしてるんだ」という背徳感に溺れる。
「俺がいじめたからあいつは学校に来れなくなった」という達成感を感じる。
「自分はここに存在しているんだ」と分かる。
これは誰しも一度は経験があるはず。
「あいつの顔っていっ○く堂に似てね?www」
「結局あいつは口だけで何もできない」
これは実際にぼくが言われた悪口です。
悪口を言う側はめちゃくちゃ楽しいはず。
誰かの悪口を言えば、場が簡単に盛り上がる。
いじめはそんな悪口がエスカレートした結果。
いじめはバトルロワイヤルである
いじめはただ楽しいからやってる訳ではない。
いじめに手を染めれば、簡単にスクールカーストの上位に立つことができる。
いじめっ子はそれと同時に、クラスの人気者であることが多い。
もちろん、その人に魅力があってクラスの人気者になった人もいる。
ただその一方で、誰かを蹴落とすことで上に立つ人がいる。
「次にいじめられるのは自分かもしれない」
といった恐怖をクラスに植え付けて、その結果人気者になった中身スッカラカンの奴も少なくないはず。
実際に、ぼくの小学校や中学校ではそういう奴が多かった。
以下の記事でも、これに関連するようなことを書いているので是非。
いじめを無くすためにはどうすれば良いのか
いじめを無くすために、ぼくたちは一体どうすれば良いのか。
答えは簡単である。
いじめを楽しいものにも、自分の地位を引き上げるものにもしなければ良いだけ。
具体的にはどうすれば良いか。
ぼくはいじめをイタいものにすれば良いと思う。
例えば、堕落した生活を送っていることをステータスとしている意識低い系だったり。
カップルの電車内でのイチャイチャだったり。
いじめもそれと同じカテゴリーにしてしまえばいい。
けど、その考え方をどうしたら世の中に広げることができるか。
その方法についてはまだ分からない。
今は、このブログでひたすら発信し続けることが一番だと考えている。
皆さんは、いじめ問題についてどう考えていますか。