オピニオン

「自分は頑張ってる」と思うことの罠

こんにちは。やえがし(@yegs_)です。

今日は大学で経済学の文献を読んでそれを議論する授業がありました。

その授業は各回1テーマずつ話を進め、テーマごとに割り振られた3人1組の発表者が始めにプレゼンをする形式で行われています。

今回ぼくのグループが発表者としてプレゼンをしたので、そこでぼくが改めて感じたことを共有したいと思います。

頑張っていると思うことは成長を止める

ぼくは前からプレゼンが得意だと思っていました。

大学1回の時にも何回かプレゼンをする機会があって、そのときも周りからは「面白かった」と言ってもらえることが多く「俺はプレゼンの才能があるんじゃないか」と天狗になってました。

だから今回のプレゼンも「まぁ軽くやってやるか」くらいの気持ちで臨みました。

グループではどうやったらみんなに理解してもらえるかについて何度も話し合いをし、個人としてもどうやったら飽きずに聞いてもらえるかについて考え、パワーポイントもアニメーションなんか入れちゃったりしてましたね。

そのときぼくはこう思いました。

俺、頑張ってるじゃん。

そして当日。自分ではめっちゃ良くできたと思いながらみんなの前で話し始めましたが、フタを開ければあらびっくり。目の前にはぼくが想像していたものとは違う景色がありました。

つまりぼくのプレゼンはだだ滑り。正直、途中でさっさと切り上げてしまおうかと思うくらいでした。

そこでぼくは考えました。なぜ今回結果が出なかったのか。

理由はただ一つでした。

それは、途中で自分は頑張っていると思っていたから。

これまでのぼくは「他の人もすごいプレゼン作ってくるだろうから負けないようにしよう」と思いながら作業をしていました。

つまり自分の限界を決めずにやっていたんですよね。

しかし今回のぼくは「他の人は大体これくらいだろうからそれよりは良いものを作るか」と思いながらやっていました。

それってどこかで自分の限界を決めつけてやっているのと同じですよね。

だから結局周りとそこまで変わらない、あるいは劣っているものが出来上がってしまったんですね。

そんなものを自信満々に話してもそりゃ滑るわと。

本当同じグループの人達に申し訳ない。猛省します。

頑張ること、それ自体に価値はない

受験生を鼓舞するフレーズとしてこんなものをよく聞きます。

頑張ればいつか必ず結果が出る。」「頑張ればいつかきっと花が咲く。

言葉で言うのは簡単だけど、現実はそんなに甘くない。

今から2年前、ぼくは早稲田に入るために必死に勉強した。

正直、自分は周りより頑張ってると思っていた。

だけど結果はダメだった。涙が止まらなかった。

周りからは「お前はよく頑張ったよ。」「頑張る過程が大事だから結果は気にすんな。」と言われた。

きっとぼくに気を遣ってくれたんだと思う。

ただぼくは頑張るために勉強していたんじゃない。早稲田に入るために勉強していた。

目的が達成できなかった瞬間にその過程には価値がなくなる。

頑張った過程にすがるのは逃げだと思う。

頑張ったからどうした。自己満を他に押し付けるのはやめろ。

ぼくはそれから「頑張る」という言葉が嫌いです。

だから誰かを応援するときにも「頑張れ」とは言わないようにしています。

頑張ることを目標にして欲しくないから。

結論

ガンバ大阪。←

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やえがしくにひこ
やえがしくにひこ
意識だけ高い学生ブロガー。当たり前のことをそれっぽく言うのが得意。普段は大学に通うフリをしながら意識高い大学生に読まれる個人ブログ「がちろぐ」を運営中。缶ビール奢ってくれたら一晩中語り尽くします。たまにドローン飛ばします。立命館大学在学中。