思い返せば、ぼくの人生は絶望の連続だった。
中学生のときは、軽いいじめにあった。
ぼくが所属していたのはバスケットボール部。
ちょっとでもプレーをミスすれば、ボールがすぐさま飛んでくる。
ちょっとでも調子に乗った発言をすれば、人前で怒鳴り散らされる。
なのでとにかく部活に行くのがシンドかった。思い出したくもないくらい。
しかしプライドが高かったぼくは、誰かに助けを求めることができなかった。
だから何としても良い高校に行くしかない。落ちたらあいつらと同じ高校になってしまう。
そうは意気込んだものの、合格掲示板にぼくの番号はなかった。
現実世界はドラマではない。
「今度こそは絶対に受かってみせる」と意気込んだ、大学受験。
ぼくの第一志望は早稲田大学。
早稲田を目指したのは、誰からも否定されない空気感が好きだったから。
「ここしかない」と思った。その日から必死に勉強した。
そして合格発表の日。電話の向こうから流れてきたのは、感情のこもっていない音声。
しかし早稲田をどうしても諦められなかった。
なので親に頼みこんで一年間浪人させてもらった。ただ結果は不合格。
このときは早稲田に行けなかった悔しさより、「これだけやっても自分はダメなんだ」という絶望のほうが強く感じた。
大学に入ると会計士の勉強を始めた。受かった奴らを見返してやるために。
これまでの勉強とは違って、会計士の勉強は面白かった。
面白いからずっとやってられる。電卓をひたすら叩く日々が続いた。
しかしそれでも結果がついてこない。
自分より勉強してない人のほうが成績が良い。悔しさを通り越して絶望した。
どうやらぼくは、ペーパーテストに向いていないらしい。
ただどうしてブログを始めたのかは覚えていない。もう何でも良かったんだと思う。
ぼくはこれまで、たくさんの絶望を経験してきた。
絶望をすると何もかも投げ出したくなる。自分の無力さに虚しくなる。
できることなら絶望なんてしたくない。
ただ絶望がない人生は、それはそれで面白くないと思う。
ぼくが成長できたのは、これまで絶望してきたおかげだから。
新しいことを学ぶときなんかは、めちゃくちゃ絶望する。
「こんなの無理やろ」「選ばれし人だけができるんや」と最初は思う。
ただ続けていくうちに、自分の中でのレベルが高まっていく。
小学生のときに必死にやった、九九なんかはまさにそれ。
始めのほうは憶えては忘れを繰り返すけど、慣れればスラスラ言えるようになる感じ。
だから何かに絶望したってことは、それだけ伸びシロがあるということ。
そもそも自分がどうでも良いと思ってることには、絶望なんかしない。無関心。
だからこれからも絶望を恐れずにチャレンジ。チャレンジ。チャレンジ。
圧倒的に手を動かして、圧倒的に絶望したい。