君がいた夏は
遠い夢の中
空に消えてった
打ち上げ花火
ドコドンドコドンドコドンドコドン
ドコドンドコドンドコドンドコドン
ドコドンドコドンドコドンドコドン
ドコドンドコドンドコドンドコドン
今日は琵琶湖の花火大会らしい。
南草津駅前も浴衣を着たカップルでごった返していた。
最後に花火大会に行ったのはいつだろう。
おそらく高1のときだから5年前。
高校は夏休みだったけど、その日はたまたま登校日だった。
そんな帰り道、当時彼女がいなかったクラスが同じ数人で観にいった記憶がある。
「来年はそれぞれ可愛い彼女と一緒に観にいきたいよな」
そう約束しながら、夏の夜空を見上げていた。
けどそれを最後に花火大会へ足を運ぶことはなかった。
それはなぜか。
もちろん、夏に彼女が出来なかったからでもある。
ただそれは大した理由ではない。
今ごろ、大学生カップルは家で花火を打ち上げていることだろう。
きっと身も心も絶頂を迎えられる。
ただ、ぼくはその選択肢を選ばなかった。
もちろんぼくも、身体がいくつもあればそんなことをしてみたい。
ただカップルが発射している間、ぼくはひたすらにブログを書き続ける。
なぜならこれから先ずっと、でっかい花火を打ち上げ続けたいから。
花火を観ているのは、確かに楽しい。
打ち上がる花火を観ているときは、それまでにあった嫌なことを全て忘れられる。
俗っぽく言うなら、めちゃくちゃエモい。
ただそれはその場限りだ。
あれだけ綺麗だった花火も、終われば虚無感に襲われる。
残るのは、静止した花火の写真と「綺麗だったな」と感じた思い出だけ。
だったらその時間をもっと自分のためになることに使いたい。
ただためになることは人それぞれ違う。
それはTOEICで良い点数を取るための勉強かもしれない。
手に職をつけるための資格の勉強なのかもしれない。
はたまた花火大会で女の子をナンパすることがためになることなのかもしれない。
ぼくだったら一心不乱にブログを書き続けることだと思う。
周りが浮かれている時こそ、そのときの行動が意味のあるものになるのだと信じています。
ただブログでいくら強がっても、やっぱり行きたいは行きたい。
浴衣を着た可愛い彼女と、シートを敷いた芝生の上に座りながら打ち上がる花火を見上げていたい。
隣に座る彼女が「花火、綺麗だね」と言えば、
ちょっと間を空けて、「君の方が綺麗だよ」って言ってみたい。
そんな妄想を広げながら、川沿いにある自宅でブログを書いています。