誰かがこう言った。
「みんなから好かれる人間でありたい」
その人は続けてこう言った。
「だからみんなから嫌われるのは怖い」
ぼくはそれを聞いてこう思った。
「そんなことってあり得るのだろうか」
誰にも嫌われない人は、誰にも好かれない
ぼくは有り得ないと思う。
誰かに好かれれば、誰かに嫌われる。
テレビでは好感度が高い芸能人でも、インターネットでは誹謗中傷の嵐だ。
誰かが「LGBTの人って何か変だよね」と言ったとする。
あなたは「私もそう思う」と賛同したとする。
この瞬間、あなたはLGBTの人たちを暗に傷つけた。
誰かの価値観に共感するということは、それと反対の価値観を否定するということだ。
ここに魔法の呪文がある。
誰からも嫌われたくない人はこの呪文を使うと良いだろう。
「ドチラトモイエナイ」「ドッチモスキデス」
めっちゃ便利だ。
ただ”誰からも好かれない”という副作用があるので気をつけて。
呪いに取り憑かれていた、高校までの自分
とかいうぼくも、高校までは「みんなに好かれたい」の呪いに取り憑かれた一人だった。
小学生は低学年までめっちゃ引っ込み思案だった。
「どうしたらみんなと仲良くなれるだろう」と考えているうちに時間が過ぎていった気がする。
今でも地元に帰れば会うような幼なじみと遊んでいたことくらいしか記憶にない。
中学校では軽いいじめにあった。
必死だった。
一人になりたくなかった。
高校ではそれまでよりは自分の意見を言えるようになった。
ただやっぱりどこかで「これを言うことで嫌われたらどうしよう」と怯えている自分がいた。
その結果どうなったか。
心から信頼できて、お互いを高め合えるような仲間はほとんどできなかった。
当たり前だ。
嫌われたくないの一心で、周りの空気を忖度しているような奴を受け入れてくれる人なんかいる訳がない。
いたらそれはそれで怪しい。
他人の目を気にして自分の思っていることを言葉にしないということは、誰からも自分の思いを理解してもらえないということだ。
しかし思っていることをそのまま言葉にすることは時として人を傷つける。
それにはそれ相応の覚悟が必要だ。
覚悟を決め、呪いから自らを解放せよ
大学に入って、多くの人と出会った。
全くもって気が合わない人もいれば、めっちゃ合った人もいた。
今の自分では到底及ばないような境地にいる人もいた。
しかしその人たちも裏では、
「あいつ性格クソだよ」「あの子クソビッチだわ」と後ろ指をさされていた。
そこでぼくは気づいた。
どんなに魅力的な人でもみんなから好かれることはない。
同じ価値観で動いている人なんて一人たりともいない。
だったら自分に素直になった方が幸せだ。
またその人たちには共通する部分があった。
それは自らの信念を貫いていく覚悟を決めていることだ。
当然自らの信念に従っていけば誰かと衝突することもある。
誰かと衝突するとその人のことしか頭になくなってしまいがちだ。
ここでは迷うことなく距離を置けばいい。
世界は自分とその人の2人だけじゃない。
嫌われる覚悟を決めた瞬間から、誰にも邪魔されない自分だけの人生を歩んでいける。
今はそう思える。