こんにちは。やえがし(@yegs_)です。
先日、Twitterでこんなツイートを見かけました。
意識高かろうがプライド高かろうが、例えそれが薄っぺらい言葉であろうが、それでも、少しだけでも、世界を良くしようとする人たちを嘲笑う世の中は、底なし沼ですよ。あなたが引っ張ってるつもりの他人のその足は、自分の足です。
— 家入一真 (@hbkr) 2018年7月3日
そこで「意識高い系」について色々考えることがあったので、ここで語りたいと思います。
そもそも意識高い系で何が悪いの?
ぼくは周りに流されずに何かを探そうともがいている人が、「うっわ!意識高い系じゃん(笑)」と小バカにされる雰囲気が嫌いです。
ぼくもそんな意識高い系ブラザーズのひとり。
「意識高い系」と思われるのは全然構わないんですけど、それを口にすることでどれだけその人にとって影響力があるか分かってない人が多すぎる気がするんですよね。
最初は発言に比べて実績がないのは当たり前
当たり前ですが、何かを始めるときはその人には何の実績もない。
野球の実力がプロの足元にも及ばない小学生が、「プロ野球選手になりたい」と語るのは美化されている。
その一方で、大きくなって同じく何者かになろうともがいている人たちは小バカにされていんですよね。
何者でもない人が、必死に何者かになろうとしている人を蔑んでいるのはおかしくないですか。
だから周りは何も言う必要がない
外から見れば中身が伴ってないかもしれないです。
だけど口に出してる分、そうじゃない人に比べて可能性に満ち溢れている。
そもそも、ちょっとくらい意識高いことを言っても良くないですか。
それが直接、誰かの不利益になるわけじゃないですよね。
このツイートにはめちゃめちゃ共感しました。
若い人が少しくらい口だけ偉そうなことを言ったとしても、黙って聞いてあげればいいじゃない。その中から実際に成功するのは確かにほんの少しなんだけど、そういう人まで小馬鹿にして将来の芽を潰してしまったら、自分がどれだけ社会の害になりうるのか、わかってるのかね。
— ya_kura_ga (@ya_kura_ga) 2015年12月5日
きっと何の取り柄もない自分を正当化したいだけ
「意識高い系」という言葉は
有能な人が「意識高い系」の人を「行動が伴っていない」と指摘し、
それに対し劣等感に満ちた後ろ向きな人が便乗して「意識高い系」をバカにし、行動しない自分を正当化する構図から生まれたと思ってる。バカにされても「意識高い系」の方が後ろ向きより遥かにマシだわ。
— AKKY@1GAME (@akky4000929) 2018年1月6日
ぼくが中学のときもそうでした。
良い成績をとるために一生懸命勉強している人が虐げられ、「学校マジつまんねー」とチャラついた奴がイケてるとヨイショされる。
これだってチャラついた奴が自分は何者でもないことに気づきたくないから、一生懸命勉強している人(=意識高い系)を蹴落として「やっぱりオレが最強」と正当化しているだけ。
きっと今、「意識高い系」をバカにしている人はずっと前からそうしてきたんだろう。
だったらいつまで中学生気分でいるんですか?
意識高い系をバカにする世の中を変える
ぶっちゃけ意識が高かろうと低かろうとどうでもいい。
ただそれを取り巻く風潮は明らかに間違っている。
ぼくらは何者かになろうともがいている意識高い系がいたら、その背中を押してあげれば良いじゃないか。
それがどうしても嫌なら、そっとしてあげれば良いじゃないか。
「意識高い系で何が悪い」
意識高い系のぼくはそう考えています。
意識高い系なので博士取らせていただきましたし,東大も早期修了させていただきましたし,准教授も努めさせていただいておりますし,学生スタッフ40人超のラボも運営させて頂いてますし,JST CRESTの研究代表もさせていただいてますし,30歳の若さを生かして精力的に意識を高い高いしております.
— ドクター落合陽一 (@ochyai) 2018年7月18日